二本松城の門

桜の霞がかかる「霞ヶ城(二本松城)」

霞ヶ城は、寛永20年(1643年)に入部した初代二本松藩主丹羽光重公によって近世城郭として整備されました。霞ヶ城公園全体ソメイヨシノやヤマザクラなど約4500本もの桜が咲き誇り、城址全体を桜の花が覆うさまは、その名の通りまさに霞がかかったように見えます。

自然を活かした景観は、四季折々に訪れる人の心を和ませています。霞ヶ城は別名で、正式は二本松城址。​日本100名城、日本のさくら名所100選に数えられる場所です。まぶしい光の中、目に飛び込んでくるのは山麓部分にある三の丸の高石垣です。会津藩主加藤氏の所領だった時代に築かれたとされています。   

 満開の桜の中、二本松藩の旗が風にはためき、石段脇の年輪を重ねた松が連なり、現代から江戸時代に時がさかのぼります。

石段には、歴史を物語る松の木が壮観な光景をつくりだし、池には連なる桜の木が映し出されます。

石段を登ったところにある赤い笠をかざした洗心亭からは、城壁を彩る桜と青い空に描かれた飛行機雲とドラマチックな光景が視界いっぱいに広がります。

途中見事なアカマツに目を奪われます。樹齢300年を越すと言われるこの老松は、ちょうど傘を広げたような美しい松の姿から「傘松」と呼ばれています。

幻の「 霞ヶ城二本松城)」の天守台 から見る桜の絨毯!

さらに登り続けると、ようやく本丸跡の石垣に辿り着きます。平成5~7年の修復工事、そして平成23年の東日本大震災の復旧工事が行われ、今日ある天守台や石垣が城のシンボルとしての姿を取り戻しています。

戊辰戦争において落城した二本松城を心に描きます。天守台に登ってみると360°の展望が広がり、城山回遊道路には桜のトンネルが続き、残雪をまとった安達太良山(あだたらやま)が一本松の背後に見えて素晴らしい景色です。 

「二本松少年隊」の悲劇!少年の心を永遠に癒す桜

本丸を降りてからの道中、樹々の隙間から桜に囲まれた美しい空間があり、そこにレリーフが立っていました。それは、戊辰戦争の際に奮戦した少年隊士を浮き彫りにしたレリーフでした。戊辰戦争の少年隊といえば会津若松の白虎隊の集団自決が頭に浮かびますが、あまり知られていない二本松少年隊の討死も悲壮なものでした。

二本松藩の兵力は2000程度、白河城攻略戦にも人数を出しているため、新政府軍接近を前に兵力は不足。やむなく12歳から17歳までの少年の動員を認めざるを得ませんでした。もちろんそれは藩上層部が独断で決めたことではなく、戦況を知った少年たちが出陣の嘆願を重ねた結果、藩庁が苦渋の決断を下したものです。

後に「二本松少年隊」と呼ばれる少年たちは、62人を数えました。少年隊は自分の体よりも長い刀を振るって奮戦しましたが、新政府軍の銃弾に次々と倒れていきました。この時に戦死した16人の少年たちは丹羽家の菩提所(ぼだいしょ)である大隣寺(だいりんじ)に静かに眠っています。

この夢のような美しい広場は、戊辰戦争直前まで少年たちが砲術稽古をしていた跡地でした。そこには、戦争の悲惨さではなく、ただふるさと守ろうとした子供たちの健気な気持ちが残っていました。

少年隊の丘。入り口の右小路には、数え切れない程の紫陽花がありました。止まらない涙のように雨が降り続く6月、あたたかい紫陽花の花が訪れる人の心に寄り添うでしょう。

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