草原にたつ二本の枝垂れ桜

こころの原風景。東北を彩る一本桜

桜を仰ぎ見るとき、ふるさとを思い出す日本人は多いでしょう。日本のシンボルである桜は、開花期間が1月の沖縄(カンヒザクラ)から6月の北海道(チシマザクラ)まで半年間にわたります。どの場所でどの時期に、今まで桜を眺めてきたでしょうか。

桜の思い出は、それぞれの人生に寄り添う気がします。2018年4月、東北の地にも桜の季節が例年より一足早くやってきました。日本人の心象風景としての桜をいちばん強く胸に刻んでいるのが東北の人たちかもしれません。長く厳しい冬を乗り越えて、花開いた東北の桜はひときわ美しい。

福島県には銘木・古木が散在し、一本桜番付が毎年作成される程です。中でも二本松市、郡山市、三春町の周辺地区は、日本三大桜の一つ、三春の滝桜を筆頭に、あぶくま(阿武隈)桜回廊を形成。4月も中旬にかかる頃、春の日差しを浴びて枝垂れ一本桜の名木を見て回るドライブは、記憶に残る壮麗な光景の連続でした。

飛び立つような『円東寺のしだれ桜』

円東寺は大同二年807年)、徳一大師によって安達太良山の猿鼻の麓に建立されたのが始まりのようです。その後、慶長三年(1597年)、二本柳宿が開かれたのを期に、現在の場所に移設されたそうです。『円東寺のしだれ桜』は、ピンクの花びらを付けた枝を大きく広げていて、今にも飛び立ちそうな樹形は力強く見事です。

円東寺が移設されるよりも前に、このしだれ桜は存在していたので、樹齢は400年を超えている事になります。流れ落ちるようなしだれが美しく、別名は『円東寺の糸ザクラ』です。鐘楼の鐘と共に時を刻んできたしだれ桜は、本堂の築工事の音を聞きながら、新しい歴史のはじまりをみてきました。

悠久の時を刻む『愛蔵寺の護摩桜』

推定樹齢800年『愛蔵寺の護摩桜』は、地面に接するほど枝が垂れ、噴水が滴るように紅色の花をつけていました。『愛蔵寺の護摩桜』と呼ばれるベニヒガンザクラは、樹齢800年とも言われ、愛蔵寺の二度の火災にも耐えたと言われています。

現在のお寺は、以前の場所から移されたもので、その際にこの桜も移植されました。それを契機に、桜は成長を止めてしまったと言われており、「育たない桜」とも言われているそうです。 確かに樹齢800年ということから考えれば、大きさとしてはかなり小振りです。 しかし、その胴回りの造型たるや、複雑にしてダイナミックで、ここに悠久の時が宿っているかのようでもあります。

『円東寺のしだれ桜』も『愛蔵寺の護摩桜』、どちらの桜の幹も、長い年月積み重ねてきたなんともいえない趣があります。

水墨画の世界『雪村桜』と『雪村梅』

室町・戦国時代の画僧雪村周継(せっそんしゅうけい)が晩年を過ごしたとされる雪村庵のそばに立つエドヒガンの1本桜は、樹齢約400年です。裏手には竹林があり、梅と桜と竹林、庵(いおり)を眺めていると、まるで水墨画の世界に入り込み、タイムスリップをしたような感覚になります。

竹の清々しい緑と優しい桜色、それと椿の赤の調和がとれています。 桜の樹勢は旺盛で、「雪村桜」と呼ばれ親しまれています。 他に、梅の古木もあり「雪村梅」と呼ばれています。こえるのは風の音だけという静寂に、自然石の墓、樹齢数百年のしだれ桜、老梅も息をひそめているかのようです。 

桜の花が流れ落ちる『合戦場のしだれ桜』

樹高18mの高さを誇る「合戦場のしだれ桜」は、「三春滝桜」の孫に当たります。樹齢150年の若い木なのですが、満開の花びらが滝のように流れ落ち、まるで三春の滝桜を彷彿とさせる姿です。ここから1㎞東に「三春滝桜」の子木と言われる「福田寺の糸桜」がありますが、その昔、糸桜の枝が道に垂れて歩くのに邪魔になり、誰かが枝を切って近くの小川に捨てました。ある日、小川で鍬を洗っていた親子が、岸辺に白い根の出始めた桜の小枝を見つけ、家に持ち帰って植えたのが由来と言われています。

二本の桜が合体して見事な一本桜に見え、巨大な滝が流れ落ちるように咲く姿は壮観です。「合戦場のしだれ桜」と呼ばれるのは、平安時代に​奥州征伐にやって来た源義家と豪族阿倍貞任が​戦った場所とされているからだそうです。

寄り添うように立つその姿から、別名「夫婦桜」とも呼ばれます。

​若々しく凛とした佇まいで、優しいというよりは、勇ましいという言葉があてはまるでしょう。菜の花に、「合戦場のしだれ桜」の桜のシャワーが降り注ぎ、あたる日の光により表情を変え、多くの力をあたえてくれました。

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